制度の隙間から考える、親亡き後のデジタル管理【連載⑤】

デジタル社会
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Digital Guardianship 05

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世界はどこへ向かっているのか ― 本人尊重とその限界

ここまで、制度の隙間や現実的な設計について考えてきました。

今回は少し視野を広げてみます。

日本だけの問題なのか。

それとも、世界も同じなのか。

世界の流れは「本人尊重」へ

カナダ、オーストラリア、アイルランドなどでは、

  • 成年後見制度の見直し
  • 支援付き意思決定(Supported Decision Making)
  • 代理の縮小

といった改革が進んでいます。

背景にあるのは、

「障害があっても法的能力は平等である」

という国際的な理念です。

方向性としては、間違いなく前進です。

しかし、その前提は「意思の確認」

支援付き意思決定は、

  • 決めるのは本人
  • 支援者は補助する

という思想です。

これは、

一定の意思表示が可能であることを前提にしています。

重度の知的障害の場合、

  • 抽象的な理解が難しい
  • 将来予測が困難
  • 契約や金銭概念の理解が限定的

仮に、本人が周囲の発言に対してうなずいたとしても、

「これは本当に本人の意思なのか?」

という問いが残ります。

制度が進んでも、課題は残る

例えばイギリスでは、

  • 医療
  • 福祉
  • 警察
  • 地方自治体

が連携する成人保護の枠組みがあります。

情報共有や記録の重要性も制度として位置付けられています。

それでも、

  • 情報共有の不足
  • 機関間の分断
  • 判断の難しさ

といった課題は続いています。

つまり、

制度が進んでも、

「完全な安全」はまだどの国にも存在していません。

世界もまた、過渡期にある

各国は、

  • 本人尊重を強めたい
  • でも安全も守りたい

というバランスの中で模索しています。

重度知的障害への適用は、

どの国でも簡単ではありません。

日本だけが遅れているわけではない。

世界全体が、移行の途中にあるのです。

それでも、今は自衛が必要

理念は前進している。

制度も改善されつつある。

しかし、

今日、明日を生きる子どもたちを守る仕組みは、

まだ家庭側の準備に頼る部分が大きい。

だからこそ、

  • 役割分担
  • 記録
  • 透明性

といった「網の目構造」が意味を持ちます。

これは制度への不信ではなく、

制度を補完する現実的な設計です。

最後に

世界でも、日本でも、

議論は続いています。

より良い制度にしようとする動きは確かにあります。

完璧ではない。

でも、止まってもいない。

だから私たちは、

  • 不安だけを抱えるのではなく
  • 設計をしながら待つ

という選択ができるのだと思います。

未来は、少しずつ整えられていく。

その間、

親としてできることを、静かに積み重ねていく。

それが、今できる現実的な答えかもしれません。

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